糸井重里(ほぼ日社長)の経歴や大学や「ほぼ日」って?妻や子供は?【がっちりマンデー!!】

こんにちは!ひまわりです!

今回の『がっちりマンデー!!』に
(株)ほぼ日 代表取締役を務める
糸井重里さんが出演されるようですね。

糸井重里さんと言えば…
かつてはコピーライターという
肩書でテレビに出演していましたが
現在は『ほぼ日』の社長さん
ということで活躍しているそうですね。

そこで今回は
糸井重里さんに注目してみたいと思います。

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糸井重里プロフィール

本名 糸井重里(いといしげさと)

生年月日 1948年11月10日(69歳)

出身地 群馬県前橋市

最終学歴 法政大学文学部中退

血液型 A型

糸井重里の気になる経歴は?

糸井重里さんのご両親は
糸井重里さんが生まれて生後間もなく
離婚してしまったそうで
父方の祖母に育てられて…

糸井重里さんが小学校3年生の時に
お父さんが再婚したそうです。

そして、群馬県立前橋高等学校を卒業後
法政大学文学部に進学したのですが
1年後に退学してしまったということです。

その後は知人に薦められた「宣伝会議」の
コピーライター養成講座に通い
デザイン事務所の「サムシング」
に就職しましたが…
会社が倒産してしまったことで
フリーランスで活動を始めたことで
数々の賞をとることとなって
コピーライター・糸井重里という名を
世に知らしめていったようです。

ちなみに沢田研二さんの大ヒット曲の
「TOKIO」の作詞を担当したのは
糸井重里さんなんだそうですよ。

この頃に「東京糸井重里事務所」を設立しています。
(現:「株式会社ほぼ日」)

コピーライターという仕事はものの売れ行きや
人の気持ちを動かす影響力の強いお仕事ですが
当時は西武百貨店の「不思議、大好き。」(1982)や
「おいしい生活」(1983)など印象的なフレーズで
脚光を浴びテレビ出演もコピーライターとして
しょっちゅう出演してましたね。

ということで…糸井重里さんは
「コピーライター・ブーム」を引き起こすこととなった
先駆者ともいえる存在です。

そして、現在は(株)ほぼ日 代表取締役を務めていて
最近テレビ出演する時には「コピーライター」
の肩書から「ほぼ日」社長で出演していることに、
あれ?っと思う人も多いのかもしれませんね。

気になる続きは次ページへ!

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